オホーツクだより

網走自然ガイド&旅人の宿「わしのとまり木」オーナーブログ

小清水原生花園

2013/05/01 23:50
 
網走では4月27日から今日まで雪が降らない日は無く、お日様が見られない状態が続いています。
28日に友人の畑の雪景色をアップしましたが、北浜など、沿岸では積雪はありません。

今日の昼前に今年初めて、職員の方々への挨拶を兼ねて小清水原生花園に行ってみました。連休前にインフォメーションセンターはオープンしています。
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現在遊歩道沿いで見られる花はエゾエンゴサクのみです。
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これはエゾノシシウド。これから太い茎がグイグイ伸びてゆきます。
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冬季は全ての列車が通過していた釧網線の原生花園駅は今日から10月31日まで、夜間の一部の列車を除き、快速しれとこを含む各列車が停車します。
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濤沸湖畔のミズバショウは見頃になってきました。フクジュソウはほぼ終了しています。
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話は前後しますが、小清水原生花園のお話しをするうえで忘れてはならない方がいます。私個人的にも自然ガイドとして、また、MOTレール倶楽部の一員として大変お世話になった方で、釧路で病気療養中だった元JR職員の鈴木秀幸さんが4月23日早朝、他界され、MOTレール倶楽部の仲間と一緒に25日のお通夜に参列してきました。

鈴木秀幸さんは2011年に定年退職されるまで釧網線知床斜里駅の職員として勤務、夏季のみ列車が停車する臨時駅の原生花園駅や、冬の流氷ノロッコ号の車内で、ご自身が撮影された花やワシなどの写真をプリントした記念きっぷなどを販売しながら、お客様に花などの自然解説もされていましたので、2011年以前に原生花園を訪れたり、流氷ノロッコに乗られた方はお会いしたり言葉を交わされたりした方も多いのではと思います。

国鉄からJRを通しての長い鉄道員生活の中で正式な駅長職に就いたことは無かったと思いますが、原生花園駅の主のような存在だったことから、小清水原生花園の職員の方や、私達のような関係のある人たちは駅長と呼ぶこともありました。

写真は定年退職前、最後の流氷ノロッコ乗務となった2011年3月6日にこのブログにアップしたものです。その時のブログもご覧下さい。
http://kanazashi.blog2.fc2.com/blog-entry-663.html

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2007年2月から自然ガイドを始めた私が鈴木さんと出会ったのはその年の6月でした。
花ガイドの仕事で毎日小清水原生花園に通っているうちに、駅で記念きっぷを売る鈴木さんから「おい、コーヒーでも飲んでいけ」と声を掛けられるようになり、自分が担当するツアーバスを待つ間にコーヒーを頂きながらいろんな話をさせていただき、原生花園の花についてもいろいろと教えていただきました。

鉄道の旅が好きだった私にとって、自然が好きなJR職員の鈴木さんと話をするのは楽しく、勉強にもなりました。
今私が小清水原生花園で淀みなくお客様にガイドできるのは鈴木さんのおかげでもあります。

それまで市内のアパートに住んでいた私が新居を建てることを見据えて2009年春に現在の北浜に転居し、小さな宿を兼ねた家にしたいとお話しした時、びっくりしながらも喜んでくださいました。それまで鈴木さんは、私がそのうち東京に帰るだろうと思っていたそうです。

2010年の初夏の頃、網走周辺の鉄道好きの有志が集まり、石北線、釧網線を中心に、利用者減少が著しいこの地域の公共交通を盛り上げようとMOTレール倶楽部が設立され、私もお誘いを受けて参加。同じく鈴木さんも設立時から参加されました。年齢も職業も様々な人達が集まり、大きな目標として網走へのSLの誘致、その前に話題を呼ぶような団体列車の企画などに取り組むことになりましたが、国鉄時代からほとんど釧網線から離れることなく勤めてきた、当時JR現職の鈴木さんの存在は大きなものでした。
鈴木さんの様々なアドバイスや助力もあり、団体列車は早くもこの年の9月に「オホーツク食い倒れ号」として実現、この食い倒れ号の成功が翌2011年夏の「SLオホーツク号」実現につながる事になったのです。

毎年流氷シーズンに運転される流氷ノロッコ号、2011年に定年退職することが決まっている鈴木さんにとって、2011年流氷シーズン最後の運転日となる3月6日は流氷ノロッコ最後の乗務となりましたが、MOTレール倶楽部ではそれを記念して特製ケーキをプレゼントする事になりました。
これはこの日のブログに書いた通りですが、後日聞いた話では、この突然のケーキプレゼントは本当に嬉しかったそうで、ご家族など、周囲の方々にとても嬉しそうに話していたそうです。

その後、患っていた肺の病状が重くなっていき、ご本人にとっても夢であった2011年夏の「SLオホーツク号」は見に来てくれましたが、釧路で療養することになりました。

諸般の事情で遅れていた私の新居計画も昨年の春からようやく動き出し、11月に完成。
私の事も何かと気に掛けてくれていたので、その報告も兼ねて釧路にお見舞いに行こうと思いながらも行けずにいました。流氷シーズンが終わったら今度こそはお見舞いに行こうと思っていた矢先4月14日に入院されたとの知らせがあり、「わしのとまり木」の写真を持って17日にお見舞いに行き、報告する事が出来たばかりでした。
17日にお会いした時は意識もはっきりしており、帰る時に「早く退院して家を見に来てください。釧路まで迎えに来ますから。」と話したら「おう、そうだな。」とはっきり応えてくれたので、少し安心していたのも束の間、23日にとうとう帰らぬ人となってしまいました。

網走で生まれ、国鉄~JRと、一貫して鉄道員としての人生を歩み、釧路で終えたその生涯は正に釧網本線と共にありました。しかし享年65歳とは、人生を終えるにはまだあまりにも若過ぎます。
まだまだいろんなお話しも聞きたかったし、とても残念でなりません。
ただ、MOTレール倶楽部の仲間と一緒の時の鈴木さんはとても生き生きとして楽しそうでした。鈴木さんが縁を取り持ち、結ばれたメンバーもいます。そのご夫婦には3月に女の子が誕生し、その子の写真を鈴木さんは見たそうです。レール倶楽部の一員としての最後の3年間は病と闘いつつも、きっと幸せだったと思います。


鈴木さん、今年もあなたの愛した原生花園の花がこれから次々と咲き出します。その花の中を今年もSLが走ります。原生花園駅はこれからもずっと鈴木さんの駅です。
そしてあなたが鉄道員としての人生を捧げた釧網線はこれからもみんなで盛り上げ、守っていきますので、天国から私達を見守っていてくださいね。
「わしのとまり木」に来てもらえなかったのは残念ですが、今まで大変お世話になり、本当にありがとうございました。
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合掌。
 

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プロフィール

金指 功(かなざし いさお)

  • Author:金指 功(かなざし いさお)
  • 2004年に埼玉県からウトロのホテル勤務を経て網走に移住。
    2007年2月から網走自然ガイド「オホーツク遊楽倶楽部」として網走の自然の魅力を伝えてきました。
    そして2013年、オホーツク遊楽倶楽部は網走自然ガイド&旅人の宿「わしのとまり木」に生まれ変わり、新たな出発をしました。

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